説教ワンポイント(2002年1月20日 説教より)


聖書
「 マタイによる福音書 第12章22節〜32節」 

 ベルゼブル論争

 

 私たちが恐れているのは、人間の裁きではないか。人が自分をどう思っているか。どう言っているか。批判されていないかに多くの関心とエネルギーを注いで、本当に大切な神様がどのように見ておられるかの神の裁きを忘れている。
 アウグスティヌスは、罪について生涯をかけて追求しました。彼は、若いとき悪に関心を持ち、神様が善であるならば、何故この世に悪があるのか。悪とは何か。それゆえ若い時は、悪を知ろうとして放蕩生活を送ります。しかし、やがて彼は劇的な回心をして、悪は何か実態のあるものではなく、神様から離れることから生じることを大著「告白録」で著しました。
 意図的に神様から離れ、故意に神の救いを拒否することを「霊に対する冒涜」(31節)「霊に言い逆らう者」(32節)と聖書は表現し、この者は神様に「赦されない」のです。


新約聖書

12:22 そのとき、悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が、イエスのところに連れられて来て、イエスがいやされると、ものが言え、目が見えるようになった。
12:23 群衆は皆驚いて、「この人はダビデの子ではないだろうか」と言った。
12:24 しかし、ファリサイ派の人々はこれを聞き、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言った。
12:25 イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。「どんな国でも内輪で争えば、荒れ果ててしまい、どんな町でも家でも、内輪で争えば成り立って行かない。
12:26 サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ。そんなふうでは、どうしてその国が成り立って行くだろうか。
12:27 わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。
12:28 しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。
12:29 また、まず強い人を縛り上げなければ、どうしてその家に押し入って、家財道具を奪い取ることができるだろうか。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。
12:30 わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。
12:31 だから、言っておく。人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、“霊”に対する冒涜は赦されない。
12:32 人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」

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