牧師東西南北( 2002年6月23日 週報より)

 SHARE(シェアー)と言う言葉を良く聞くようになった。新聞でも、ワークシェアリング(一人ひとりの労働時間を短縮することで仕事を分かち合い、全体としての雇用者数を維持拡大すること)などで使われている。シェアーとは、分かち合いとか役割との意味がある。
 この言葉を開いたときに浮かんだ情景は、山岳部で合宿中にお腹が空いていた時、仲間がそっと持っていた、わずかなチョコレートを分かち合って食べた時の美味しさであった。
 シェアーには、豊かな者が貧しい者に援助し分けてあげるニュアンスはない。人間は不思議で「豊かになったら」「余裕ができたら」分かち合えるかと思うと、かえって自分一人で抱え込んでしまい、いつまでも分かち合うことはしないものである。
 シェアーは、豊かきの分かち合いではなく、貧しさの分かち合いである。貧しい者同士がその貧しさを分かち合って行く。悲しみの中にある同士がその悲しみを分かち合う。聖書は、そこに豊かさが隠されていることを教えている。

 

 


もどる

inserted by FC2 system