牧師東西南北( 2003年6月15日 週報より)


 礼拝の「案内報告」で、前後左右の方々と「シャローム」「平和の挨拶をしましょう」が始まって3年が経過する。当初は、戸惑う人もいたが今では皆が和やかに嬉しそうに握手している。

 一口に「平和」と言っても考え方がいろいろあることを知った。『平和の政治学』(石田雄著岩波新書)によれば、ギリシャ・ローマの「平和」(パックス)は、自国が戦争をしない、他国から侵略されない状況をつくり、その上での繁栄と秩序が保たれること。力が中心の現実的な平和である。日本を含めた東洋では、対立や争いがない平穏平安(シャンティ)が中心で、心の内面の平和が重じられる。一方ヘブライ的伝統では、平和(シャローム)は、何よりもまず神の意思が実現しているかを問う。神の正義や愛が実現して、その上で人間の繁栄・秩序・平安が実現することであるという。神中心の平和である。

 米国は、ギリシャ・ローマの現代版で、他国を巨大な軍事力や核で脅かし押さえつけて保たれる平和は偽りの平和である。また隣人になすべきことをせず無関心でいる無責任な平和も本当の平和ではではない。逆に、イスラエルとパレスチナのように互いに究極の平和を求めてばかりでは、いつまでも争いが絶えない。

 このように「平和」の内容が時代や地域文化で違うために、国際政治の世界はますます難しくなる。

 新約聖書は、主キリストを「平和の君」と呼ぶ。そのキリストは、愛する者のため自分を十字架にかけてしんでくださった神。そこには愛と赦しと自己犠牲が根底にある。キリストの平和は、この愛と赦しと自己犠牲を基礎としながら、「神との平和」「隣人との平和」「自分自身との平和」「創造物との平和」この4つの「平和」を同時に求めていくところに実現されると信じる。

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