牧師東西南北( 2003年7月13日 週報より)


 無邪気に遊ぶ4歳の園児を見ながら、長崎の亡くなった幼稚園男児を想い、悲しくなった。また、園児の両親の悲しみと中学1年の少年の両親の思いを想うと複雑である。中学1年は、自分の経験からも心と体のバランスがとれず、誰もが持つ心の「闇」と正面から向き合うには早すぎる難しい時期である。おそらく少年の両親は、どうして我が子がこんな事をしたのかわからないで苦しんでいると思う。

 教育の現場にいる者として二つ思う。少年が12歳であることを考慮し、今後の更正に支障のない範囲で、何故この少年がこのような犯罪を犯したのかを生育や性格、家庭環境・社会環境までを詳しく公表して欲しい。それは、単なる好奇心ではなく、真の原因を皆で考え、今後の子育てに生かすためである。

 企業の不祥事で責任者が深々と頭を下げる光景と同じように、少年の中学校の校長と教頭が並んで冒頭に涙ながらに深く頭を下げる場面をテレビで見て、違和感を覚えた。幼稚園もそうであるが、子どもの成育の基本的責任は家庭にあり、教育機関にはかなりの限界がある。何故まず謝るのか。心情的には解るが、誤解を招きやすい情景であった。更に、今回良く言われる「生命の尊厳」を「心の教育」と言う単科で学校の授業で意図して教えようとするには無理がある。間題の核心は、宗教性を欠いた日本の家庭と社会の陥穽(かんせい:落とし穴の意)であると思う。

 



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