牧師東西南北( 2006年2月19日 週報より)


 葬儀は礼拝として行われます。ですから、前夜式は近親者のお別れの式ですから自宅でもかまいませんが、告別式はできるだけ教会で行うことを勧めています。

 須賀川にも葬式のいっさいを請け負う葬祭場が増えて来ました。故人の想い出をビデオにして上映したり、個性的な演出もあり、なかなか上手なものです。また参列者の数、駐車場や食事のふるまいなどを考えるとその方が便利で面倒がないと言えます。

 この背景には、家族・親戚や地域共同体としての力が弱くなってきたことがあり、そこに商業化された業者が上手に入って来た構図です。しかし、教会も安易にその流れに乗ってしまうのは危険だと考えています。結婚式の撤を踏んではなりません。

 結婚式は神聖なる誓いに意味があります。教会でなくとも家族の前で、仏の前で、神主の前で自分の信ずる信仰をもって誓うことが大切です。それをチャペルなどを作り、披露宴収入目的の商業者に取り込まれてしまいました。結婚式は披露宴の前座におとしめられてしまいました。

 教会にも責任があります。礼拝が行われる教会こそ本当の教会であり、結婚式場のチャペルは教会でないことを明確にすることを怠りました。教会の敷居を低くする努力をしませんでした。フリーの牧師たちが安易に司式を引き受けています。

 私たちの教会は、キリスト者でない方の葬儀を依頼された場合、出来るだけお引き受けしています。キリスト教とのかかわりにかかわらず、教会の働きが求められたら喜んで応えて行くのが教会がここに建てられている役割だからです。

 葬祭場の代わりをするのではありません。葬儀を引き受け、生と死支配する神にささげる礼拝としての葬儀を行うのです。それには、教会の強い自覚と努力が必要です。だからこそ、教会で礼拝として行われる葬儀には、知人か関係者かに関わりなく、教会員が労を引き受け、出来るだけ出席し、讃美と祈りをともにささげてくださることをお願いしたいと思います。

 

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