牧師東西南北( 2006年6月4日 週報より)


 「そこで、ノアは息子や妻や嫁と共に外へ出た。」
                         (創世記8章18節)


 雨の日の幼稚園での光景。新入園児が買ってもらったばかりの傘を自分で開きたくて「自分でやる」と言って開こうとしているがなかなか差せない。その脇で新しい傘を自分で差してみたい心を汲み取り、ニコニコしながら脇で見守る母親の姿があった。子育て上手な保護者に共通するのは、子どもの成長を楽しみながら待てること。

 子供の成長は階段を一段ずつ上るように順調には行かない。二段ぐらい急に成長したかと思うと逆に戻ったりと鋸の歯のような登降を繰りかえしながら少しずつ成長する。楽しみながら待てる人は、子とのことを良く観察していて小さな変化や成長を見逃さずに見つけて喜んでいる。

 ノアたちを乗せた箱船は、150日嵐の中で揺れ、更に150日漂流してようやくアララト山に座礁する。混雑した狭い船内から早く外に出たいはずなのに、地が乾いてからも神の命令を待って更に150日船内ら留まっている。なんと忍耐強いことか。

 ノアが待てたのは、神様の言葉を待っていたばかりでなく、事態はゆっくりではあるが確実に動いていることを発具できたからではないか。長く待たされるは、自分が願うよりも、その分だけ神様が深くて大きなスケールで動かしていて下さっているからと信じたからに違いない。

 表面にはハッキリとは見えなくても、見えない所で「何が育っているのか」と探す思いがあるなら、感謝できる小さな恵みや変化を必ず見つけることができるのだろう。

 便利な時代になり、その分「待つ」ことが苦手になった。教会も漂流している。待つことに疲れず、待った分だけ大きな喜びと収穫が隠されていることを信じたい。

        (キリスト新聞掲載 第3回目原稿)

 

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