牧師東西南北( 2006年6月18日 週報より)


 山本美栄子さん(同盟キリスト教団古河教会員)から依頼の手紙をいただいた。要旨は、父の日実迎えるが、年老いた義父徳さん(84歳)が最近昔が懐かしいと話す。特に父のことを思い出すらしい。徳の父は増吉で牧師であった。何か説教集か遺稿集等があれば父にプレゼントしたいとインターネットで検索すると唯一須賀川教会のホームペーシにヒットした。資料があれば送っていただきたいとのこと。

 尚、美栄子さんが知る情報としては、増吉牧師の妻は石川市出身でかのう家という海軍軍人を多く輩出した家であること。七男一女を授かり(徳さんは七男)で3歳の頃に須賀川に着任した。須賀川で長男が山本医院を開業。三男菊の妻の実家は、牡丹園を市に寄付した家。兄や徳自身、現安積高校に通った。現在、当時の家は道路にかかり皆関東に移った。

 調べると確かに1895年(明治28)に須賀川教会に着任し、二年間牧会しておられた。当時の会員は23名で受洗者は13名との記録である。福音教会史でもある「東金教会百年のあゆみ」には「須賀川は山本増吉が新任。その働きは堅実であり、殊に郡山伝道は当時郡山が産業都市として拡大化されつつあったこともあり発展を見た」とある。明治のはじめ頃の須賀川は、関裏以北では宇都宮・仙台に次ぐ規模を有し、福音教会が東北伝道の拠点として須賀川を選んだ理由もそこにあるという。

 さて、山本牧師の資料は上記の東金教会の資料しかなく、しかも着任した年代しかわからず、残念な返事を差し上げるしかなかった。足跡として、1894年(明治27)東金教会に転入。山本増吉(明治4年1月12日生)」とある。P253。

 1895年、1896年須賀川教会牧師、1897年八王子・青梅教会牧師、1898年多摩教会牧師、1899年青梅教会牧師、1900年~1903年牛込教会牧師、1904年・1905年麻布・所沢教会牧師、1906年麻布教会。

この年を最後に「山本増吉はこの明治39年6月以前福音教会を退いたようである。その原因はわからない。」P300とある。

 福音教会は監督教会制度(本部責任者である監督が伝道師を派遣し、本部が資金や人事を管理する)で、伝道師は監督の指示で家族を連れて各地を毎年のように巡回しなければならなかった。改めて当時の福音伝道の厳しさを知る機会ともなった。
 

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