牧師東西南北( 2006年7月2日 週報より)


  教会に台湾から突然の来訪者がありました。テイさんという日本の大学で学んだ35歳くらいの男性でした。彼は「宮川保之さんの御子孫を捜していました。宮川さん棚倉のお生まれで、敬度なクリスチャンであったとのことで、この地域で古い歴史の白河教会や須賀川教会に資料がないかとのお尋ねでした。

 残念ながら宮川というお名前はなく年代も違いました。
宮川さんは、1906年(明治39)台湾総督府殖産局職員として台湾の内大坪に配属されゴム苗圃を指導しながら、現地の人々に交わり、特に関係が悪かった日本人・先住民・台湾人の仲をとりもち村に平和をつくられたとのこと。一方、就学の機会に恵まれない子どもたちを集め、無料で子どもたちを教え(東京大学出身らしい)、讃美歌や算数、漢字などを教え、やがて村民の協力で校舎が建てられ「太平学堂」が完成。

 その後、日本と台湾は戦争になったが、戦中も戦後もこの村は宮川さんの働きへの感謝を忘れずに争うことなく助け合ったとのこと。

 幼少期に宮川さんから学んだ多くの人が、宮川師への感謝を改めて子孫に残し、また宮川さんの御子孫にも感謝を伝えるために宮川さんの情報を求めているとのこと。テイさんは知人から依頼され奉仕でお手伝いをしているとのこと。

 信仰をもって仕えた人々。先人に感謝を忘れない人々。善き歴史はこのようにしてつくられ、伝えられる教会史でなく、先人の信仰を証し神に感謝を伝える教会史(物語)が教会の真の遺産なのでしょう。そんな教会史を是非つくれればと願う。


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