牧師東西南北( 2006年7月9日 週報より)


  先週の月・火曜日に福島県牧師会が飯坂教会で開催され、夜は桑折町「うぶかの里」に泊まった。

 夜に散歩する私はいつものように出かけると、近くの川にむかう人の群があった。何事だろうとついて行くと蛍が乱舞していた。幾度となく蛍を見たが、これほどの塾が飛んでいるのを見たのは初めてであった。すごい。感動である。すぐに、宿の牧師たちに知らせ、皆も驚いていた。今度は幼稚園の先生たちを誘い、木曜日にまた一緒に行って再感動した。

 蛍は源氏蛍で、護岸工事で絶滅に瀕した蛍を時間をかけて再生したという。蛍は「鈴のようなせせらぎの音を聞いて育つ」と言われるようにきれいな水と餌のかわにな(タニシ)、川辺のコケ、岸辺の草と自然環境が整わないと生息できない。管理をされた人に聞くと今は250匹ほどが飛び、最盛期には500匹ほどが飛んでいるとのこと。

 お尻を発光させるのは求愛表現で、葉について静かにしているメスに飛び回るオスが近づき、発光して会話し愛の告白をしているのだ。点滅信号と同じである。面白いことに蛍の群には、点滅信号の学習があり、離れた地域に生息する蛍を別の群に入れても信号を理解できずカップルが成立しないと言う。

 蛍の一生は一年で終える。ほとんどを水中で過ごし、4月に上陸してさなぎとなり、成虫となり発光して飛び回るのはわずか3日から7日という。

 不思議にも1週間も生きられない乱舞する蛍を見ながら私は、なにか具体的なかたちで永遠を見ているような感覚を抱いた。涙がでそうになった。

 自分の時間(とき)を知り、自らの使命をひたすら全うしようと生命を燃やして飛び回る姿が気高く見えた。

 主イエスは、様々なことに思い煩う私たちに、野は花 空の鳥を見よ(マタイ6章)と語られた。

 どんなに小さい一輪の花にも、空を自由に飛ぶ雀にも、自らの生命を燃やして光源とする蛍にも、そして私にも神様は、ふさわしい生命の時を刻み、ふさわしい恵みを備えてくださっている。比較してはならないそれぞれの生命の時は、一瞬と永遠が交差する蒔でもあるからだ。


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